あさお慶一郎(前衆議院議員 神奈川4区)

2008年05月22日 (木)

参議院 外交防衛委員会 13号 平成20年05月22日

169-参-外交防衛委員会-13号 平成20年05月22日

○浅尾慶一郎君 宮崎証人は、山田洋行に入社されてから、当時はその山田洋行という会社は大変防衛商社としてはそれほど大きな会社ではなかったということだと思いますが、累次の営業、そして様々なことに取り組む中で防衛商社として実質山田洋行を育てたというふうに私は聞いておりますが、御本人もそういう認識を持っておりますか。

○証人(宮崎元伸君) 私が山田洋行に入社しましたのは、新しく航機部門、航空機部門を開設したいということで、設立の当時から山田洋行に入社しております。

私の目的は、もちろん当時は防衛庁には登録してありませんでした。山田洋行として私が方針を出しましたことは、総合商社、大手商社に勝る防衛商社をつくり上げるということで、商権の獲得にはどうすればいいのかというようなことをいろいろ勉強しまして、やはり海外に人脈を持つことであると。海外に人脈を持てば、小さい会社においてもそれだけの評判、評判が良ければそれだけの評価が出ると。

では、当時、私は、防衛庁の支援とか、そういう商権を取得するのにそんなことは一度も思ったことはありません。とにかく、米国、ヨーロッパにそういう人脈をつくると。そういう方の国内での口コミによって評判を良くして、私どもにそういうお声、商権のお声が掛かるというようなことを私どもはやってまいりました。

○浅尾慶一郎君 海外に人脈ということでありますが、私が聞いているところによりますと、GEの代理店を三井物産から山田洋行に移ったころぐらい、その後、直後か少し後かもしれませんが、元の国務副長官でありますアーミテージさんと山田洋行はコンサルティング契約を結ぶようになったと。そのころぐらいから海外の人脈が増えていったという理解でよろしいですか。

○証人(宮崎元伸君) たまたま、そういうアーミテージ閣下とのコンサルタント契約と私どもの売上げのカーブが同じころになったんだと思います。  私は、アーミテージ閣下にビジネスに関する、まあ日本的な言い方をすれば商売に関することをお願いしたことはありません。私ども、そのアーミテージさんの顧問という立場を私どもの会社のステータスとしておりました。

○浅尾慶一郎君 商売のことについて頼んでいるということは聞いておりません。ただ、そのころにそういう形で人脈が広がっていったというふうに聞いております。

私が不思議なのは、山田正志オーナーというのは代表取締役でありますが、常勤で会社にいられたわけではないというふうに聞いております。一方で、その山田洋行さんは大変利益が上がっていたということで、あるときに、その山田オーナーあるいは山田地建、弥生不動産ということなのかもしれませんが、これがいろんな債務を抱えるようになったと。その中で、山田洋行は利益が上がっているので、それを売りに出そうという話になったというふうに聞いておりますが、その山田オーナーないしは弥生不動産、山田地建がどういうところから、あるいはどういう銀行の、どなたからそうした債務を、まあバブルにかかわる土地の債務だと思いますが、を紹介されたというふうに聞かれていますか。

○証人(宮崎元伸君) 山田グループに不動産関係の部門があります。その中にはもちろんゴルフ場もあります。弥生不動産がRCCの問題を、ありまして、私の記憶では総額百十三億の負債ができたと。和解当時に三十七億でしょうか、それから十二年間で三十億と、そういう義務を果たせれば、四十六億は国が債権放棄するというふうなことではなかったかと思います。その和解時の三十七億について資金調達を、山田洋行を売買してそれに充てようというお考えがあったように思います。

そういうことが、またそれ、私ども初めは通知、私どもに何ら報告されない、されておりませんでしたので、対外的にはもうそういう打診が行われたと、そういうことで、私どもは、やはりその不動産がうまくいかなければ犠牲になるんだと、商事会社は。そういうことから、社員の要望があって、山田洋行をMBOをするとか独立していくとか、そういうことに、流れになったと思っております。

○浅尾慶一郎君 不動産の方の山田地建あるいは弥生不動産にそうした様々な不動産案件、まあこれ債権という形でもあるかもしれません、を紹介した主な方の一人に三井住友の西川さんはいらっしゃいましたでしょうか。

○証人(宮崎元伸君) 三井住友銀行はあれだけの大組織でございますので、西川さんが関与されたかどうかは私は知りません。私が聞いていた限りでは、本社の本部のレベルだったと聞いております。

○浅尾慶一郎君 次の質問に移りますが、その不良債権四十六億の処理というのは、なかなか債務放棄に応じないというのが普通だと思いますが、なぜ応じたか。そこに政治家かあるいは銀行のアドバイスがあったということは聞かれていますか。

○証人(宮崎元伸君) ちょっとまだ御質問の意味が分からなかったんですけれども、もう一度よろしくお願いします。

○浅尾慶一郎君 四十六億円の債権放棄に応じるというのはなかなか珍しいことだと思いますが、どうしてそういうふうになったというふうに聞かれておりますでしょうか。

○証人(宮崎元伸君) もちろん、四十六億円の債権放棄がされたということは、RCCが決定されたことであり、またそれだけの財産が、支払ができない経営状態だということは、財産がなかった、資産がなかったということではないかと思います。

○浅尾慶一郎君 それでは次の質問に移りますが、先ほどアメリカのいろんな方と人脈を広げることによって商権を拡大していったというお話がありました。

秋山直紀さんは、私の聞いているところでは、宮崎さんほどアメリカに本来は人脈がなかった、アメリカにそんなに人脈がなかった方だというふうに伺っております、当初はですよ。その秋山さんとどういう理由で付き合うようになったのか。つまり、質問の趣旨は、宮崎証人の方がアメリカにおける人脈の幅も広い中で、あえて秋山さんと付き合う商売上のメリットはどの点にあったのかということをお伺いいたします。

○証人(宮崎元伸君) 秋山さんとの関係におきましては、山田洋行は、私が在任している当時は、苅田港であったと思います。防衛関係で秋山さんにお願いした記憶は全く私にはありません。

○浅尾慶一郎君 その秋山さんを山田洋行あるいは宮崎証人に最初に紹介された方はどなたですか。

○証人(宮崎元伸君) 秋山さんのうわさというものはその前からずっと聞いておりましたけれども、お会いしたことはありません。が、秋山さんとの知り合い、そういうお知り合いになれたことは、私が直接電話してそうなったと思っております。

○浅尾慶一郎君 今、仕事の面では苅田港で秋山さんにお世話になったということをおっしゃいました。

いきなり直接、仕事の面でお世話になるために電話をされたんですか。

○証人(宮崎元伸君) そのとおりであります。

○浅尾慶一郎君 そうすると、どういう情報に基づいて秋山さんに直接電話をして苅田港の、まあ先ほど、地元対策費ということだと思いますが、お世話になろうということになったんでしょうか。

○証人(宮崎元伸君) 記憶が定かではありませんが、一応思い出しますのは、業者が決定される前にまず機種の方式を決定すると、処理装置のですね。そういうことで、一つは秋山さんのところ、もう一つは、国問研の傘下にある財団だったかと思いますけれども、まあ日揮とか日本鋼管とかが入って、チームになっていたジョイントベンチャーの財団だったと思いますけれども、その入札によってどちらかに決まるというふうなことを聞いて、秋山さんに私は直接お電話したと思います。

どうして直接できたかと申しますと、昔私どもで、ジョン・カーボというロビイストの方がいらっしゃいまして、カーボさんを私どもの会社の顧問にしておりました。で、秋山さんのお名前なんかもちょくちょくとそのジョン・カーボさんを通して聞いておりましたので、そういうことで、当然私の名前も秋山さん御存じであろうというふうなことで、直接秋山さんにお電話したと思います。

○浅尾慶一郎君 そうすると、そのいわゆる安保研という組織に山田洋行が会員になられたのは、苅田港の毒ガス処理の事案の後というふうに理解すればよろしいですか。

○証人(宮崎元伸君) 私の記憶では、苅田港の契約、すなわちプライムが神戸製鋼さんだったわけですけれども、もうその前からだと記憶しております。ちょっと時系列的には分かりませんけれども、私の記憶の中ではそういう時系列になると思います。

○浅尾慶一郎君 秋山さんが実質的な責任者を務める安保研の会員には前からなっておられたけれども、秋山さんと会ったことはないということでよろしいんですか。

○証人(宮崎元伸君) いや、安保研の会員になって、それから理事になってもらえないかという秋山さんからの申入れがありましたので、もちろん安保研、秋山さんと知り合った後に安保研に入会し、それから理事になったということだと思います。

○浅尾慶一郎君 確認ですけれども、最初は直接面識がないけれども電話をされたと、それは苅田港の地元対策の、あるいは苅田港の毒ガス処理の事業に参加をしたいということで電話をされたということでよろしいですか。

○証人(宮崎元伸君) 初めての電話でしたので、そういうことは申し上げてないと思います。ただ、ごあいさつを申し上げたいというようなことで電話が終わって、その後にお会いして具体的にそういう話に入っていったと思っております。

○浅尾慶一郎君 その後、秋山氏と久間衆議院議員が大変親しいということを知るようになるということですが、久間氏、守屋氏、秋山氏、宮崎さんで会食、宴席を持ったようなことというのは何回かございますか。

○証人(宮崎元伸君) まあ雑誌とか新聞紙上で、何か一、二度そういうことがあったんじゃないかというふうなことを私もそういうものを通して知ることはできましたけれども、私の記憶の中には全くありません。ただ、もしかしたら一度はあったのかもしれません。

○浅尾慶一郎君 久間さんとの関係で、この委員会で守屋前防衛事務次官が証言をされている中で、彼が、守屋氏が防衛省を辞めるときに、君には言っていなかったけれども、航空機課長をパリに派遣したんだという話をされておりました。

宮崎証人は、久間当時の大臣が、日本ミライズができたときに、久間大臣は日本ミライズの側ではなくて山田洋行の側に付いているというような印象を、日本ミライズができた後ですけれども、持っておられるかどうか、その点について伺いたいと思うんですが。

○証人(宮崎元伸君) いろんな方からいろんな情報が入りますけれども、会社をスタートさしたときにはもうそういうふうな気持ちがあったと思います。

○浅尾慶一郎君 具体的にそういうような気持ちというのは、久間大臣が宮崎証人の側ではなくて山田正志オーナー並びに山田洋行側に立っているという印象を持っているということですね。

○証人(宮崎元伸君) と申しますのは、その前にいろんなうわさがありまして、久間先生が山田親子と対面、会食されたとか、そういううわさを聞きました。また、それは山田洋行の内部の人間から直接、人から聞いたり、またうちの社員が直接山田洋行の社員から聞いたり、そういうことがあって、また私が料亭「さくま」でお会いしたときも、料亭「さくま」ということを先ほど委員長からお話がありましたけれども、それは大臣の、久間先生の大臣の就任とか、それから私の会社の設立の御報告とか、そういう目的で会ったわけですけれども、その中で久間先生の方から、山田親子がごあいさつに来られたと、なかなかいい親子じゃないかというようなことをおっしゃっていました。

○浅尾慶一郎君 山田オーナーと久間衆議院議員を接点を持たせたのは秋山直紀さんだというふうに思っておられますか。

○証人(宮崎元伸君) それは、その「さくま」の話ですか。(発言する者あり)それは当然、私のところから、例えば久間さんと私が「さくま」でお会いすることを申し入れたのは私でございますので、私のときは秋山さんを通じてお願いしました。したがって、親子でお会いになったときは私は存じ上げません。

○浅尾慶一郎君 質問の角度を変えます。

山田オーナーと久間衆議院議員は元々お付き合いがあったんですか、それとも秋山さんを介して付き合うようになって、結果として先ほどおっしゃったように宮崎証人が独立をされたときに山田オーナー側に立つようになったのかどうかという質問です。

○証人(宮崎元伸君) お付き合いというか、秋山さんから御紹介を受ける前に、私、山田オーナーと久間さんとゴルフを一度か二度、三度はないと思います、一、二度、ゴルフをしたことはあります。

○浅尾慶一郎君 では、その付き合いの深さということで言えば、秋山さんと久間大臣の方が、宮崎証人と久間衆議院議員あるいは山田オーナーと久間衆議院議員よりも深いという理解を宮崎証人も持っておられますか。

○証人(宮崎元伸君) 山田オーナーにしても私にしても、そういう深いというお付き合いは当時までしておりません。

○浅尾慶一郎君 それで、もう一度。  宮崎証人が独立する際に、久間当時の大臣が反対というか、山田オーナー側、山田洋行側に付いたという印象を持ったというふうに先ほどおっしゃっていましたが、具体的に防衛省の官僚も使って何か妨害をされたという印象を持っておられるのか、あるいは後から、これは例えば先ほどもお聞きしましたように、航空機課長が防衛事務次官のラインを超えて出張するというのは私これ結構異例なことだと思いますが、後から知ったのか、その点について、当時のことをちょっと思い出して御証言いただけますか。

○証人(宮崎元伸君) これは、防衛庁の内部からのいろいろな情報も、私を始め、また部下もいろいろ持ってまいります、それは正しいか正しくないかは別としましてですね。

エンジンの契約というよりも、私どもが、GEからCXの代理店の指名を受けて、代理店に指名されたのが七月の三十日から。七月の二十九日までが山田洋行というふうになっておりました。その年度にエンジン、CXのエンジンの調達が一台要求されるということも私ども知っておりまして、したがって、私どもとしては三十日以降になれば私どもは契約できると、二十五日以内に契約されれば山田洋行は契約すると、そういう環境ができていたと思います。

その中で、防衛庁からの内部から出てくる情報では、始めは非常に青木航空機課長が契約を急いでおられると、それから、後からは、私どもが代理店になってからは、GEの日本支社と直接契約をできないかと、そういう指示が大臣から青木さんにあっているというようなことは聞いたことありますが、また最後にはそういうことがごたごたして、パリのエアショーではなかったかと思いますけれども、青木さんが行かれて、GEのエンジンの社長また副社長とかそういう方とお会いになってそういうお話を、山田洋行はAランクであると、日本ミライズはBランクであると、あっ、Dランクであると、そういう会社となぜ代理店を変えたのかとか、何かそういういろいろきついお話があったと聞いております。

○浅尾慶一郎君 かなりいろんな形でその現職の大臣が関与していたということだと思います。  次の質問に移りますが、もう一人、守屋前事務次官がここに来られたときに証言でおっしゃっていたのは、宮崎証人、そして守屋さん、そして額賀現財務大臣と一緒に宴席を共にしたということでありますが、そういった事実はございますか。

○証人(宮崎元伸君) そのジェームス・アワーさんが……

○浅尾慶一郎君 というときかどうかは別としてですね。三人でも……

○証人(宮崎元伸君) その新聞紙上で言われている会合ですか。

○浅尾慶一郎君 いえ、三人──もう一度。  新聞紙上でということではなくて、守屋さんがここでおっしゃったのは、あなたとそして額賀大臣とそして守屋さんとあと複数の人で宴席を共にしたことがあるという話をしていましたので、まずそういう機会があったかどうかということです、具体的にジェームズ・アワーさんかどうかということではなくて。

○証人(宮崎元伸君) 一度だけ記憶はあります。で、それは四人とか六人とかじゃなくて、もう二十人近いそういう会合の中で額賀先生がもう宴会の終わりのころちょっと顔を出されたということはありましたけれども、三人とか四人でお食事をしたりしたことはちょっと記憶がありません。

○浅尾慶一郎君 ちなみに、それはどういう会合ですか。

○証人(宮崎元伸君) たしか中国からのお客さんだったと思っております。

○浅尾慶一郎君 最後に、額賀さんが山田洋行さんの会社に行かれていろいろとお願いをされたことはありますか。

もう少し具体的に言うと、二〇〇〇年ごろ少しお金に困っていることがあったということでお願いをされたというような話もちょっと伺ったことがあるものですから、そういった事実があるかどうか。あるいは献金その他そうしたことを山田洋行から額賀衆議院議員に、額賀大臣に対してですね、献金をされたことがあるかどうか。

○証人(宮崎元伸君) 額賀大臣からそういう、直接そういうお話があったこと、事実はありません。

2008年05月08日 (木)

後期高齢者医療保険制度より健康保険制度一元化を

後期高齢者医療保険に関して、相当な反発が私の事務所にも寄せられております。昨年の10月号の当レポートでもこの制度の問題点に触れましたが、まだ現実に導入されていなかった為か、あまり反応が有りませんでした。


制度導入の趣旨は、世代別の医療費を比較すると、国民医療費の51%以上が65歳以上の方に掛かるものであり、70歳以上で区切ると全体の41%、75歳以上の方で全体の28%となることから、医療費の掛かる世代を切り離して別管理をしようというものでした。

保険という制度は保険を使う人と、使わない人が適度な割合で存在してはじめて成り立ちます。事故を良く起こす人ばかりを集めて自動車保険を組成したらその保険会社は成り立ちません。

人間は若い頃に全く病気をしなかった人でも、加齢と共に持病の一つや二つは抱える様になります。そう考えると75歳以上の方だけで構成する後期高齢者医療保険制度は保険としては成立しない制度ということになります。

今、取るべき政策は75歳以上の方を別の健康保険に切り分ける政策ではなく、むしろ政府管掌保険、共済組合、健康保険組合、国民健康保険と多岐に別れている健康保険を一元化し、誰もが一生を通じて同じ一つの健康保険制度に加入する制度改革だと思います。

国民健康保険等よりも、大企業の健康保険組合や国家公務員共済・地方公務員共済の方が財政状況が良いと言われます。

健康な人の方が国や地方自治体あるいは大企業に採用される傾向が強く、健康な人の方が同じ職場で長く勤務する為だからです。

公的健康保険の本旨は、共に助け合う共助にあるので、持病を抱えている人も健康な人も同じ健康保険に加入し、同じ料率の保険料を払う方が公平です。

国民年金、厚生年金、共済年金の一元化と併せて、様々に分かれている健康保険制度を一元化することが本来のあるべき改革の姿だと思います。

参議院議員 浅尾慶一郎

2008年05月01日 (木)

高野 孟氏(株式会社インサイダー 代表取締役兼編集長) 『政治家における重要な資質』

高野 孟(たかのはじめ)

「インサイダー」編集長、株式会社インサイダー代表取締役社長 1968年 早稲田大学文学部西洋哲学科卒 通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に、情報誌 『インサイダー』の創刊に参加、80年に(株)インサイダーを設立し、代表兼編集長に。 1994年に (株)ウェブキャスターを設立、インターネットによるオンライン週刊誌『東京万華鏡』の編集・執筆 に従事。 2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」を担当。

■主な出演 TV朝日「サンデープロジェクト」など。

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