あさお慶一郎(前衆議院議員 神奈川4区)

2006年11月28日 (火)

参議院 教育基本法に関する特別委員会 4号 平成18年11月28日

165-参-教育基本法に関する特別…-4号 平成18年11月28日

○浅尾慶一郎君 民主党・新緑風会の浅尾慶一郎です。

今日は教育基本法の改正案につきまして条文ごとにいろいろと質問をさせていただきたいというふうに思っておりますが、最初に総論として、これまでいろいろと議論が出てきております直近の課題で、いじめ・自殺問題について一、二点伺わさせていただきます。

来年度、いじめの実態調査を全国的に行うということを聞いておりますけれども、いじめといじめによる自殺、それぞれの定義をまず教えていただけますでしょうか。まず、文科省がとらえているいじめとは何か、いじめによる自殺は何かということの定義を伺いたいと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) 事実関係ですか。

○浅尾慶一郎君 多分、副大臣まではお求めしておりますが、政府参考人はお願いしておりませんので、よろしくお願いします。

○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。

〔速記中止〕

○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。

○国務大臣(伊吹文明君) これはもう是非、理事会の御決定ですから私が御答弁いたしますが、事実関係とかこういうことは私が必ずしもすべてをつまびらかにしているわけではございませんので、その点は御了承をいただきたいと思います。

まず先生、いじめの定義をまずやらなくちゃいけませんね。

文科省のいじめの定義というのは、自分より弱い者に対し一方的に身体的、心理的な攻撃を継続的に加え相手が深刻な苦痛を感じているものとして、個々の行為がいじめに当たるかどうかということを判断をしてもらいたいと。そして、表面的、形式的に行うんではなくて、いじめられていると訴えている子供の立場に立っていじめかどうかを判断してもらいたいということを文部科学省の定義として各教育委員会に調査をお願いしているということです。

それから、自殺については、調査時点で学校が把握している自殺の主な理由の一つを報告させる方式を取っているわけで、自殺というのはもういろいろな心理的要因が重なって自殺に追い込まれるわけですから、その大きな理由として自殺に追い込まれたのがいじめであるという場合は、選択肢の一つとしていじめがあるということを報告してくださいということを申し上げているわけです。

○浅尾慶一郎君 ありがとうございます。

一応申し上げておきますと、事前の質問通告段階で、まあいつものことなんですが、政府参考人は、新しい国会の対応が決まってから、私としては求めていないと。したがって、副大臣、政務官は結構ですと、大臣お一人じゃ大変でしょうからということはもう申し上げておりますので、そのことを付言させていただきたいと思います。

今御答弁いただきましたので、その二番目ですけれども、今までいじめといじめによる自殺、自殺については様々な理由があるという御答弁をいただきましたが、様々な理由がある、理由っていうか原因ですね、原因が様々あると。したがって、それが、そのいじめが主な原因でないと判断されていたから今までいじめによる自殺というのが報告されていなかったのか、それともそこを、何というんですかね、まあ違う理由の方を主にしたかったのかということが質問の一点目と、統計上いじめが減っていると、その減っている理由という、その二点についてまずお願いしたいと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) 先生、まず国会でございますから、当然政治家同士の議論をするというのは私は大賛成で、ほとんど私もだから役人の書きました想定問答は読まずに答弁いたしております。ただ、やはり国会でございますので、政治家同士の議論という、質問がやっぱりお互いにやり取りをするということで、余り役人的なことは私は答えられませんので、その点は御了承ください。

今の御質問について私なりの感じを申しますと、確かに多様な原因があるから自殺の原因がいじめだということを認定しにくいという理由は一つあると思います。しかし、それ以上に、これはテレビの番組等で学校の先生や教育の評論家の方々とも私お話をする機会があってなるほどと思いますのは、やっぱり学校は学校なりの良く言えばプライドですね、教師は教師、担任の教師は、あるいは校長は校長なりのプライド。自分の指導がうまくいかなくていじめが出たとか、あるいは学校から自殺者が出たということを、あるいは更に上に行くと、把握していても教育委員会がそういうことを出したくないという、やはり私はモチベーションは否定できなかったと思います。

ですから、再三文科省も注意はしておるんですが、これは不十分だったと私は思いますのは、いじめが少ないのがいいことではなくて、いじめを把握して、そして事を大きく至らないように処理した学校あるいは担任を評価するという方針で教育委員会が対応してほしいということを申し上げているわけですが、これが必ずしも十分行き届いてなくて、まあ人間だれしもそうでしょうが、己を飾りたい、繕いたいということの表れが、残念だけれどもこういう数字になっていると思います。

○浅尾慶一郎君 ありがとうございます。さすがに政治家同士の議論ということで、本音の話をしていただきました。

私もおっしゃるとおりだと思います。それぞれの学校現場でのプライドもあるでしょうし、教育委員会でのプライドというものが報告の阻害要因になっていると。今大臣お答えになられたとおりだと思いますので、そこを変えていくというのが求められていることだと思いますが。

通告の三番はちょっと大した話じゃありません、飛ばしますので、四番のいじめ、自殺に関して、そういう意味で大臣の責任ということでいうと、まあ恐らくお答えはそういうことになるんだと思いますが、今おっしゃったように、教育委員会あるいは学校でもって本当の理由を、隠すんじゃなくて見付けて報告をするというのを、それを求めるのが責任だという理解でよろしいでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) 責任というよりそれは私の職務の一つでして、責任、あえて責任と言えば、まあ率直に言えば今のような指導をしているにもかかわらず、例えば警察庁の資料あるいは法務省の持っている自殺の資料と、自分たちのところへ上がってくる、各教育委員会から上がってくる統計数字に乖離があるじゃないかということを気付く感性がない役人を、その感性を自覚させる指導ができていなかった大臣ということだと思いますね。

○浅尾慶一郎君 かなり本質的な話をしていただいたんだと思うんですね。

警察あるいは法務省が持っている数字と文科省が持っている数字が違うじゃないかということに気付いてなかったのが問題だと、まあ端的に言えばですね、今までの問題でいえばそういうことだということだと思いますが、今後は、じゃどうやって気付かせるのが大臣としての。

○国務大臣(伊吹文明君) 気付いてなかったのか、まあそういう統計があるということも知らなかったのか、気付いていたけれどもまあ何の手を打たなかったのか、いろいろあると思いますよ、それは。

しかし、もうそれは済んだことは済んだこととして、これからはどういうふうにするかといえば、やはり役人としての感性を磨かせるより仕方のないことなんですね、これは。国民の税金をもらって仕事をしているわけですから、常に緊張感を持って、縦横ですね、報告、連絡、相談、そして、やったことの最後の確認、これは私が九月に文科省に行ったときに最初に役人の皆さんにお願いしたことです。報告、連絡、相談、確認だけはしっかりやろうよと、これさえできていれば、あとの責任は私が取ると。しかし、これができていなくて私を国会で立ち往生させるということは駄目だよということを言ってあります。

○浅尾慶一郎君 役人としての感性を磨くということですが、これはちょっと、我が党の同僚に事前通告をしていない質問をあえてさしていただきますが、今の制度ですね、教育委員会制度というのが、先ほど伊吹大臣の方で、そことしてもプライドがあったんではないかと。ですから、本省の役人としての感性というのも必要だと思いますが、制度を若干、民主党案では学校理事会制度をつくることによって変えていくこともできるんではないかということを主張しているわけですが、今のいじめ自殺の問題に即して、学校理事会制度をつくるとどういうふうにそれが機能するかということを、提案者、ちょっと、事前通告ないですけれどもお答えいただけますか。

○鈴木寛君 お答えを申し上げます。

私どももいろいろないじめの現場に行って教えていただきますと、今問題になっております感性といいますか、感度ですね。要するに、教育現場で何かやっぱりシグナルは小さいながらも出ております。やっぱりそこに気が付くのか、あるいは気が付いていてもそのままにほっておくのかと。そういったことについての感度あるいは感性というものが非常に足らなかったということを痛感をするわけであります。もちろん、そこを、感性を磨く、感度を磨いていただくということは非常に重要でありますが、じゃ、それをより制度論でどういうふうに補完をしていくかということも併せてやっぱり我々非常に重要な課題と思って考えております。

私どもが今回御提案を申し上げております学校理事会というものが置かれますと、例えば保護者の方がこれはおかしいと。今回も担任の先生に相談に行っているというケース多うございます。しかし、そのときに受け止める側の担任あるいは学年主任の感性、感度がいま一つであった場合に、今の状況であるとそこで止まってしまうわけであります。そこで我々は、学校理事会を設けて、その中に地域の代表、そして保護者の代表、そしてその代表者が過半数を超えるという制度を用意をいたしております。

そうしますと、保護者は、地域の代表なり保護者の代表に、こういう問題起こっているんだけれども学校側で対応してもらえなかったと、これ十分対応してもらえないかということを直接申し入れることができるわけですね。そうしますと、その日にでも緊急に学校理事会を開いて、この問題をどう対応していくのかということが学校の機関として、学校の意思決定として行えて、そしてそれが直ちに学校関係者によって実行がなされると。

こういう制度を用意することによって、いわゆる感度、感性の低い、あるいは鈍っている方であっても、その行動様式を変えていくという制度を用意をさせていただいているというふうに御理解をいただければと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) 今のことだけに限って言うと、学校理事会というのは非常にいいと私は思います。しかし、衆議院の審議の際に、学校理事会の在り方について御党の前原議員とやり取りをしたときに、理事会には人事権、人事の上申権を与えるということをおっしゃっているわけですね。これは藤村先生も同じ意見でした。そのときに、どういう方がここへ入ってこられるのかということと、学校現場の教育の中立性というものがどう担保されるのかという、このこととは違う大きな考えなければいけない問題があるわけです。

ですから、教育行政でどう担保するかというのは民主党の提案者がおっしゃったとおりの問題意識を私たちも持っております。ですから、今文部科学省がいただくのは、調査の依頼をした結果の数字をいただいてるわけですね。これは西岡大先輩も同じようなお考えのようですが、やはり義務教育の最終責任は国が負うと。これは民主党案にも書いてあるわけです。だから、学習指導要領その他、このいじめの問題等も国が最終的責任を負うわけです。

それをどう担保するのかと。担保するのは、御承知のように、これはもう予算権と人事権とあるいは法律の執行権によって担保しなければならないわけですね。そこをどう組み立てていくかということは、これは民主党案にも我が方の案にもそこはまだ明確に打ち出せていないんですが、そこをやはり将来的には、かなり共通点がありますので、協議をして、今のような変な数字が上がってこないような行政の仕組みを私はつくり上げるべきだと思っております。

○浅尾慶一郎君 私どもも、理事会制度というのは、単に案として出しているということよりは、より良い学校現場をつくるというために出している案でございまして、そういう意味で協議をしていただけるというのは大変有り難いということですが、鈴木提案者にちょっと、今の先ほどの説明に加えて、協議ということも含めてお答えいただきたいと思います。

○鈴木寛君 補足で申し上げますと、これは大臣も御承知の上で今のような御答弁されていると思いますが、現行の地方教育行政法でも学校運営協議会というのがもう盛り込まれて、そして幾つかの地域ではもう具体的に実践がされているわけでございます。それを見ますと、やはりおおむねそうしたその地域の声あるいは保護者の声をとらまえた学校運営が行われていて、そしてそのことが子供たちにとって、いじめ問題も含めて、非常に好影響を与えているのではないかというふうに我々は評価をしております。

そういう中で、任命権者についての、上申権についての、先ほど大臣がお話になった点も既にこの学校運営協議会の中で行われていて、これを評価しながら、より全体の公立学校制度に応用、適用をしていこうというそういう文脈の中で、私どもは学校理事会制度を御提案させていただいているということを併せ御答弁申し上げたいと思います。

○浅尾慶一郎君 どうもありがとうございました。

それでは、法案の前文について伺っていきたいと思いますけれども、午前中最後の質問になると思いますが。

「公共の精神を尊び、」との文言が付加されておりますけれども、これはどういう理由でしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) これはやはり個人の権利あるいは人権というものは、これは当然尊重されなければならないんですが、権利には必ず義務が伴うと、守るべき自由には規律が必要だと、これが人間社会の原則なんですね。そして、我々が乗っている共通の船である日本という国あるいは世界、地球というものは、この公共の精神、同じ船に乗っているんだという気持ちがなければ、いずれ自分も船とともに沈んでしまうと、その意識をやっぱりしっかりと持つ教育をしたいということでございます。

○浅尾慶一郎君 同じ船に乗っているんだという意識を持つ教育をしたいという御答弁でありますが、それと同じ文言なのかどうか、ちょっとこの新聞記事しかないものですから文脈が明らかではないんですが、河村元文部科学大臣が、今の自民党の政調会長代理だと思いますが、沖縄タイムス紙のインタビューで、個人の尊厳だけの教育では自己中心的な人間ができるという認識を示しておられますが、今御答弁いただいた大臣の御答弁もそういう同じ文脈ということでよろしいですか。

○国務大臣(伊吹文明君) 先生も新聞だけだとおっしゃったんですが、私は今初めて、率直に言って先生からそのお話を伺いました。河村さんがどういう意図でそれを言ったか分かりませんが、まあ、彼の話もよく聞いてみないといけませんが、私が申し上げたのは、やっぱり個人の権利、人権というものは公共の精神を発露することによって担保されるんであって、個人の権利だけなどということは本来人間社会にもあり得ないんですよ。現在の法律においても、今回御提案しております法律よりは記述は必ずしも明確ではありませんけれども、当然個人の権利だけを書いてある法律なんていうものでは今の法律もないわけでして、私は、河村さんはそこはよく分かって発言しているんじゃないかと思いますけど。

○浅尾慶一郎君 もう一分ありますんで、じゃ、最後、前文だけ終えたいと思いますが。

それだけということはないと思いますが、公共の精神の尊重が教育基本法の改正の趣旨でしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) それも多くの改正の趣旨の一つでございます。

○委員長(中曽根弘文君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時まで休憩いたします。

午前十一時五十九分休憩

─────・─────

午後一時開会

○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を再開いたします。

休憩前に引き続き、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題とし、質疑を行います。

質疑のある方は順次御発言願います。

○浅尾慶一郎君 午前中に引き続き、質問をさせていただきます。  午後は条文ごとの細かい点について逐条ごとに伺っていきたいと思いますが、第一条には教育の目的ということで、教育は人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な素質を備えた心身とともに健康な国民の育成を期して行われなければならないと第一条に書いてありまして、第二条は教育の目標ということで様々書いてあるわけでありますが、目的と目標の違い、これはどういうところですか。

○国務大臣(伊吹文明君) これは用語の説明のようなことになりますが、私は提案者ですから、立法意図という形で御説明をいたしたいと思います。

一条は、何を目指してどういう人間を育てるかということを記しております。そして二条は、この目的を達成するための今日的に重要と考えられる具体的な事柄を記したということです。

○浅尾慶一郎君 という御説明でございましたが、一条に「必要な資質を備えた」と書いてあります。必要な資質を備えることが言わば目的ということだと思いますが、その必要な資質というのは二条で細かく規定されておりますところで具体化されていると考えてよろしいんでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) 重要な要件として二条に規定していると御理解いただいて結構です。

○浅尾慶一郎君 それでは、この第二条の中で現行法との比較で質問をさせていただきたいと思いますが、現行の教育基本法は、第二条、教育の方針、現行は方針なんですけれども、「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するため」「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、」と書いてあるんですが、今度の政府の教育基本法案は、「学問の自由を尊重しつつ、」になっているんですね。「学問の自由を尊重しつつ、」というのが改正案であり、現行は「尊重し、」ということで、言葉じりをとらえるわけではありませんが、「尊重し、」というのと「尊重しつつ、」ということでいうと、「しつつ、」の方が少し弱いんではないかなというふうに思うんですが、それは弱めることではないということでよろしいんですか。

○国務大臣(伊吹文明君) 学問の自由というのはいつにおいても大切なことでありますから、立法意図としては、特に現行法に比べて弱めるという意図は全くございません。それは昨日も御質問がありまして、同じようにお答えをしておりますが、「しつつ、」というのは英語で訳せばウィズ・ザ・コンディションだと思いますがね、それを条件としてということだと思います。

○浅尾慶一郎君 じゃ、もう少し具体的に伺ってまいりたいと思いますが、この第二条の中で、「学問の自由を尊重しつつ、」が「尊重し、」との「つつ、」のところとどう重なってくるかということでいいますと、例えば、いろいろ書いてあるんですが、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」と「学問の自由」というのは、まあ基本的に私は重なると思いますが、公共の精神の解釈によっては重ならない場合もあるんではないかなというふうに思うんですが、そこも学問の自由の方が尊重されるということなのか、それとも公共の精神の方が優先するのか、その点について伺いたいんです。

○国務大臣(伊吹文明君) これは、その事案その事案、具体的な事案に即してやはり解釈されるべきことだと思います。

多くの場合、これは二律背反的なことではないと思いますが、先生がおっしゃったようにですね。しかし、このことを、解釈によって、学問の自由が優先するではないかという解釈をした場合に、有権解釈権は御承知のように法律の所管をしている内閣にあります。その解釈がおかしいという場合は、これは司法で争うということです。

○浅尾慶一郎君 おっしゃるとおりなんですけど、仮にこの法案が成立した段階というか、今は作成過程ですね。立法者の意図としてはどういうことになりますか、今のことでいうと。

○国務大臣(伊吹文明君) ですから、適正に運用されれば、これは二律背反的なものではないということを申し上げているわけです。

○浅尾慶一郎君 適正に運用されればということでありますが、実は、少し質問が飛ぶかもしれませんが、戻ってくるという前提で申し上げておきますと、この「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」というのをまず伺っておかないと、そのことと「学問の自由」というのが二律背反するのかしないのかというのが分かりませんので、これは通告してあると思いますが、どういう態度ですか。

○国務大臣(伊吹文明君) それは、午前中にお答えしたように、我々が共通の社会の一員であるわけですから、例えば個人の人権の主張あるいは個人の権利の主張と公益とのバランスというのは、これはいつも論じられることでございます。

それと同じように、公共の精神と学問の自由、学問の自由という言葉で、何をしても学問の自由かというと、それはおのずから各法律の制約の下にある、憲法の制約の下にもあるわけですから、当然そこは個々のケース・バイ・ケースに当たっての運用の問題、それをどう理解していくか、あるいはその理解あるいは運用に対して自分は違う考えを持っているという場合は、これは裁判に訴えて司法の判断を仰ぐということができるというのが我が国の統治のシステムですよね。

○浅尾慶一郎君 犯罪にならない前提で申し上げていきますと、例えば無政府主義という考え方が哲学上あります。これは、それを実力行使をもってすれば、これは犯罪になると。無政府主義の考え方を教えることは、公共の精神に基づいていることに合致をするから、これは学問の自由とも合うんだということになるのか、それとも無政府主義の考え方を教えること自体が、哲学的なアナーキズムというものを教えること自体が、公共の精神に基づいて主体的に社会の形成に参画することに反するんで、それは学問の自由の尊重にはならないのか。具体的にとおっしゃったんで、そういう場合はどうでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) これも率直に言うと、教え方、教える中で組織的な、何かアナーキズムの活動に組織をしていくとか、そういうことがある場合には、既に国会で議決した各法に触れてくる場合がありますね。ですから、学問として、例えばレーニンが革命のために国家を憎めと言っているということを教えるということは、別に公共の精神に反することではなくて、一つの学説としての教えをしているわけですから。ただ、そのことが今度、国家を例えば転覆させるとか、今の先生のお言葉で言えばアナーキズムの国家運動になるというようなことは、むしろこの法律の範囲を超えて、既に国会で議決をしている各法において裁かれるということじゃないでしょうか。

○浅尾慶一郎君 この法律ではなくて、ほかの法律に触れるものにおいては当然そういうことだと、それは理解をいたしますが、この法律で新たにというのがあるのかないのかということで、個別の、この二条で定めている様々なことについて伺いながら、また学問の自由の方に戻っていきたいと思いますが。

質問通告をさしていただいている順番に戻りまして、例えば「豊かな情操と道徳心」ということが二条の中に書かれていますけれども、これは何であるかということと、どのように養うかと。

○国務大臣(伊吹文明君) まず、情操という言葉で立法意図が表しているものは、自分より優れたもの、あるいは自分が非常に小さなものという、美しいもの、あるいは自分より大きな存在、自分が及ばないもの、そういうものに対する一つの、何というんでしょうか、感動する心、心根というか、まずそういうものでしょうね。

道徳というのは、いわゆる人間社会の善悪、こういうものの判断基準として、ここはまた学問の自由との間で先生が御質問をされる可能性があると思いますが、一般的に受け入れられている、じゃ、一般的に受け入れられているものは何かと。社会の中では少数だけれども、そういうことをやった場合はどうだという御質問は多分あると思いますが、一般的に我々の社会の中で、法律はもちろんですが、法律を超えて、英国流に言えばコモンローと言うんでしょうか、祖先の営みの中で、法律には強制されないけれども進んでやるべきこと、法律には禁止されていないけれども恥ずかしいからやらないこと、こういうものに従おうとする気持ち、これが道徳心だと思います。

○浅尾慶一郎君 もう一点は、どのようにそれを養うということなんでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) これは、やはり過去にそういう情操に触れたような祖先のいろいろな事案、あるいは道徳を守ることによって社会が維持されてきた事実、そういうものをやはり教えていくということだと思います。

○浅尾慶一郎君 学問の自由との絡みで、分かりやすい例でちょっと伺っていった方がいいかと思いますんで、少し飛ばしますが。

国を愛する態度というのがございますが、これ事前に文部科学省の方に立法者の意図としてレクを受けてまいりました。大臣の主張と違うかもしれません、違っていいんですが。そのレクの中では、例えば政府の施策に反対する合法的なデモ、要するに施策に反対して国を愛するがゆえにデモを行うということもあると思いますし、あるいは祝日に日の丸を掲げないという態度とか卒業式で君が代を歌わないという態度、こういうのは国を愛する、こういうのも含めて国を愛する態度になるのかどうかということをまずちょっと伺いたいと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) ちょっと私の聞き違いなら許していただきたいんですが、君が代を歌わない態度とか国旗を掲げない態度が国を愛するということになるとおっしゃったんですか。

○浅尾慶一郎君 もう一度。事前に伺って、私のちょっとレクが違っていればそれは違っていたということでいいんですが、そういうものも含めて、要するに国を愛するがゆえに、中にはですよ、別に日の丸を認めないという人もいるでしょうし、君が代を歌わないという人もいるでしょうと。まあ、それはそれで一つの考え方でしょうし、それからデモも、合法的なものであれば国を愛するがゆえにデモに行くというのもあるんで、それも含めて国を愛する態度だということを聞いたんです。だけれども、それは正に立法者である大臣がそうでないというのであれば、それはちょっと伺っておきたいということです。

○国務大臣(伊吹文明君) それはその人の信条の問題ですから、そこへ立ち至るってことはできませんよね、国家といえども。ただ、多くの人たちは多分そういうふうには思わないでしょうし、今度、そういう態度や姿勢を教えるということは、この法律というよりも、例えば公務員としての規律というのは、これは当然学校教育法の指導要領ですか、大臣告示である指導要領に従ってもらわなければならないというのは、これは日本国の法律の体系ですよね。

ですから、どうするかってことを、現場でどういうことを教える、教えないという、これは教育基本法のこの委員会ですから、教える、教えないかということと個人がどう思っているかということとはおのずから違ってくるんじゃないでしょうか。だから、心の中へ入り込んで、それは駄目だとか法律でこうだとかっていうのとこれは少し次元の違う問題だと思いますね。

○浅尾慶一郎君 もう少し、日の丸・君が代とデモとはちょっと違うと思いますので分けて考えたいと思いますが、私は、繰り返しになりますが、合法的なデモに参加するのは、私はこれは、場合によってはですよ、場合によってはというか本人からすれば、当然、国を愛するがゆえにデモに参加しているということですから、これも国を愛する態度と理解していいと思うんですが、それも含めて大臣はそれは国を愛する態度としてこの教育基本法の二条が定めている教育の目標とは合致しないということでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) その人はそう思っておられて、国を愛する、自分は国を愛しているから合法的な、合法的などういうデモなんでしょうか。そこのところを少し教えてください。

○浅尾慶一郎君 私も実はデモに余り行ったことないものですから、何が合法的なデモか分かりませんが、一応、届出をしてあるデモというものは合法的なデモだということだと思いますが、そういうものに参加するのは、その個々人の、自由主義の日本の下において、考え方、日本の国がこういうところが悪いからそういうデモンストレーションをするんだという発露だと思います。それは国を愛する態度だと理解してもいいんではないかと。それも含めて国を愛する態度ではないんだということになると、それはちょっと教育の目標としては私は違うんではないかなと思いますが、立法者としてはどう思われるかということをお伺いいたします。

○国務大臣(伊吹文明君) それは先生、届け出てあって許可を受ければ合法的なデモになると思いますが、何を訴えるデモなんですか。そして、それが既存の法律その他において認められないことを訴えるデモであれば合法的にならないですよね、まず。そこのところはどうなんですか。

○浅尾慶一郎君 何を訴えるというのは、要は合法的なことですから、繰り返しになりますけれども、そのデモでもって非合法なことを、中身も含めて非合法なことを訴えるということではありません。具体的に言えば、例えば、(発言する者あり)今、今ちょっと障害者自立支援法という声が出ましたけれども、障害者自立支援法の再改正を求めるデモに参加するという、これは正に国を愛する、あるいは地域社会を、これはここで書いてあります郷土を愛するということから出てくる態度ではないかなというふうに思うんですが、それも含めてこれはその態度に含まれないという解釈なのかどうか。

○国務大臣(伊吹文明君) その障害者自立支援法に反対するデモに参加するということが愛国心の発露であるかどうかは、これは非常にやっぱり意見のあるところじゃないでしょうか。

○浅尾慶一郎君 いや、それは意見があるところかもしれませんが、私はその今のお話で少し危険だなと思うのは、その愛国心の発露を時の有権解釈者が決めると、このデモは愛国心の発露でないと決めるというのは非常に危険な考え方ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) これは、だから合法的であると先生がおっしゃったことが、正に決めていることをおっしゃっているわけでしょう。合法か非合法かは届出の受理かどうかで決めるんですから、そこでね。ですから、そこで合法と決められたものについては当然合法であるでしょうし、非合法と決められたものは、今正におっしゃった、時の権力者が非合法と決めることについて不服があれば司法で争えるというのが日本の仕組みじゃないんですか。

○浅尾慶一郎君 いや、ですから、中身は合法的なことなんです、届出をすると。ですから、伺っておりますのは、国を愛する態度の中には、事前の役所のレクではそういうのも含まれますよということであったんですが、どうも大臣の御答弁ですと、そういうものは含まれないんだという認識ですか。

○国務大臣(伊吹文明君) それはちょっと、どういう理解を先生しておられるのかあれなんですが、その合法的なデモの内容を教えていただかないと……(発言する者あり) いやいや、さっき言ってないでしょう。いや、障害者自立支援法が、国を愛する心の発露として障害者自立支援のデモが行われているかどうかということであれば、それは今の愛国、国を愛するということとの関連で御質問いただいても結構だと思いますが、障害者自立支援法に反対するというデモが許可をされたからといって、それが国を愛する心に合致するかしないかというのはちょっと内容が違う話なんじゃないですか。

○浅尾慶一郎君 じゃ、要するに大臣の、この法案の発議者としてのそれは違うんだという考え方だと思います、今おっしゃっているのは。で、違うということを、少しその議論を、多分、鈴木寛さんなんかは私と同じような考えだと思いますので、あえて、これも通告していませんが、分かりやすくするために答えてもらいたいと思いますけれども、私の考えは、合法……

○国務大臣(伊吹文明君) いや、質問の意図がよく分からないんですよ。

○浅尾慶一郎君 いやいや、いわゆるデモというのじゃよく分からぬということでしょうか。例えば、日本の例ではありませんけど、インドのガンジーが非暴力主義ということでこれはデモを行ったと、ただし、それも含めて、それは国を愛する、インド、日本じゃありませんが、態度の発露だと私は思います。しかし、今の御答弁によりますと、それは違うんではないかということじゃないかなと思うんです。

○国務大臣(伊吹文明君) 今の例で、少し私はよく分かりました。

障害者自立支援法と国を愛する心というのは、ちょっと私はやっぱり無理があると思いますね。これは今のガンジーのこの例であると、ガンジーがどのような意図を持ってあのデモを組織したのか、そしてそれがそのときの何というんでしょうか、その国との関係でどういう立場でそのデモを行おうとしたのか、そういうことを総合的にやっぱり判断するんじゃないでしょうか。

○浅尾慶一郎君 私は、今の大臣の御答弁でよく、逆に大臣の考え方が分かりましたけれども、私自身は、国を愛する態度というものは、もちろんある態度があって、それはそれ自体に問題が、国を、日本という国を私自身も愛しておりますから問題があるということは全く思っておりません。しかし、問題は、あること、その人にとってはそれは大切なことを、正に地域社会のために行動することをケース・バイ・ケースで判断するということ自体の方が私は問題なんではないかなというふうに思うんですが。要するに、内容の判断を時の為政者がすることが問題ではないかと思いますが、その点についていかがでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) これは何度も申し上げているように、まず合法か合法でないかによってデモが認められるか認められないかということはまず入ってくるわけでしょう。認められた場合は、これは合法としてのデモを時の為政者というのか、時の政府が認めているからデモが行われるわけですから、そのこと自体に私は立ち至るべきではないということを言っているわけです。

○浅尾慶一郎君 そのこと自体に立ち入るというのは問題であるというのはそのとおりだと思います。

したがって、教育基本法においても合法的なデモにおいてはそれは立ち入るべきではないと、ただし、何となく聞こえてくるニュアンスからすると、そもそもデモに参加すること自体がどちらかといえば国を愛する態度というものとは合致しないというふうに聞こえる……(発言する者あり) いやいや、聞こえて、それであれば……

○国務大臣(伊吹文明君) それは全く私の表現力が拙劣なのか先生の理解力が私に及んでいただけないのか分かりませんが、デモに参加することが国を愛する態度と矛盾するなどということは私は一度も言っておりませんよ。

だから、やはり、まず合法か非合法かということは、デモがそれこそ許可されるかどうかによって、そこで許可されるということは合法だということでしょう。そして、その中で今度は国を愛する態度と合致するかしないかとおっしゃったから、私は、障害者自立支援の法律に参加することは国を愛する態度と結び付けて考えるというのは私はややどうかなということを申し上げたわけです。

だけど、ガンジーの例を出していただいたのでよく分かりました、先生の意図しておられること。すると、ガンジーは、あのときガンジーはデモの許可があったのか、あるいは許可がないけれどもやったのか、これはやっぱり史実によってきちっと判断しないといけないんですよ。調べないといけないんですよ。そして、そこで、もし当時の植民地インドの法律によって許可をされていたのであれば、それはガンジーのやった行為は国を愛する気持ちとして当然私は認められるべき行為だと思いますよ。

(発言する者あり)

○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。

〔速記中止〕

○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。

○浅尾慶一郎君 繰り返しの議論ではいけないんで少し進めますけれども、今のそのデモの話というのは、私は、あることを訴えるというのは国ないしは地域を愛するということの発露の可能性も十分にあるんではないかなというふうに思っておりまして、そのこと自体をもって、その中身で判断するというのがやはり問題があるんではないかなというふうに、例えば障害者自立支援法はちょっとどうかというのは正に中身の話になりますから、障害者自立支援法であっても、それはデモに参加されている個々人の内心の自由、内心の自由に合わせて、あるいは地域社会における障害者が非常に苦労をされている、新しくその法律ができた結果苦労するようになったと。そのことが国を愛する態度なのか、ここで言うところの郷土を愛する態度なのか分かりませんが、その発露としてデモに参加することも十分あり得るんじゃないかと。

そもそももう一歩踏み込んで言いますと、そもそもそういうある行為をすること自体に論評をするのは問題があるんではないか、この法案の中でですよ。そのデモ自体が合法的であれば、それ自体でもってその人が国を愛する態度の発露なんではないかと私は思うんですが、そこは見解が違うなら一言で結構です、見解が違うと言っていただければいいです。

○国務大臣(伊吹文明君) 先生、デモの内容によって善しあしを私言っているんじゃないんですよ。先ほど来からお話ししているように、先生がお挙げになったそのデモの内容が国を愛する態度に結び付く事案なのかどうなのかについては、先生は障害者自立支援も郷土や国を愛する態度に結び付く発露だとおっしゃるけれども、私はそうは理解していないということを言っているわけです。

○浅尾慶一郎君 そういう理解をされていないということであれば、しかし理解は、そう理解はしないけれども、そのことをしたからといってその生徒が、じゃその場合はこの教育基本法の教育の目標に反しているのか、反していないのか。

○国務大臣(伊吹文明君) それは、ここの私の理解で言えば、そもそも障害者自立支援の法に反対というこのデモは、そこに参加しておられる方の気持ちとしては、この法律によって障害者の立場が非常に苦しくなる、あるいは自分たちの今まで受けていた福祉サービスが受けられない、そういうお気持ちを、よろしいですか、ちょっとよろしいですか、そういうお気持ちの発露としての運動であって、今先生がおっしゃっている国や郷土を愛する態度ということと結び付けてという、私はそれは結び付かないんじゃないかという理解をしているということです。だから、先ほどのガンジーの話で私はよく分かったと申し上げたのはそういうことです。

ですから、別に障害者自立支援反対のデモに参加をされても、それが合法である限りはその方の心の問題ですから、私はそのことに対していい悪いの判断をするべきじゃないということを再三言っているわけです。

○浅尾慶一郎君 じゃ、国を愛するということではなくて、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」というのもここの目標の中で規定がされておりますけれども、まずその主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度というのはどういう態度になるんでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) 自分たちが当然自分たちの属している共同体の一員であるということだと思います。

○浅尾慶一郎君 具体的に伺った方がいいと思いますので、例えば、投票に行くことは当然そういう態度になるわけですね。

○国務大臣(伊吹文明君) それは当然そうだと思います。

○浅尾慶一郎君 選挙に立候補することも、その主義主張にかかわらず、そういう態度という理解でよろしいですか。

○国務大臣(伊吹文明君) 国の他の法律で非合法とされていない限りは、非合法とされている団体の推薦、政党の推薦その他があるとすれば、それは当然国の法律としては許されませんが、そうでない限りはもう当然そうだと思います。

○浅尾慶一郎君 公共の精神ということで、よく公共の利益という言葉が使われますが、例えば都市計画に地権者として反対の意見を述べるということは、その今の公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画する態度と言えますでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) これはケース・バイ・ケースじゃないでしょうか。まず、教育基本法の更に上にある憲法というものを先生よく御理解しておられると思いますが、財産権は当然私権として尊重されねばならないけれども、それはやはり公共の福祉の範囲の中であって、そして濫用してはならないということも書かれていることも御承知のとおりですね。ですから、それがまず憲法に抵触するかどうか、憲法の規定によって。いつも問題になるのは土地収用法を発動する場合の要件ですよね、正に。そのケース・バイ・ケースによって判断さるべきことじゃないでしょうか。

○浅尾慶一郎君 では、その公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画する態度というのはどのように養っていくんでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) それは過去のいろいろな事案によって、自分の、例えば私のふるさとで言えば、明治維新のときにみんなが私有財産を提供して初めて尋常小学校ができたのは京都です。そういうことをやはり多く教える。あるいは、自分が犠牲になることがあっても公共のために尽くしたというような事案がたくさんございます。そういうことをやはり一つ一つ理解してもらいながら、そういう心を養っていってもらうということだと思います。

○浅尾慶一郎君 ちょっとこの目標の中の号を行ったり来たりしていて恐縮ですが、この中に「勤労を重んずる態度」というものがございます。勤労を重んずる態度の中で、例えば中高生がアルバイトをするというのは、これはまあ勤労を重んずることなのか、それとも学問を優先すべきなのか、そこは、まあそこまで立ち入らないということなのか、そのことも含めてどういうふうに考えておられるか、伺いたいと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) 勤労というのは本来勤勉に働くという意味ですから、殊更問題を難しく解釈することはないんで、学校の現場においてはやはり学校教育、学校教育法の下に行われている、特に義務教育においてはですね、全国民共通の学力とそして規範意識を維持してもらうために国民の税金を投入しているわけですから、そこではおのずから学問を十分修めた、その最低の基準を修めた上でアルバイトをされるということは、別に勤労を、何というか、重視するという規定には当たらないでしょうけれども、責めらるべきことではないんじゃないでしょうか。

ただし、ただし、やはり学校には学校の法的な規律がありますから、この範囲内で、範囲を超えてアルバイトをなさるということには、学校の現場を預かっている教師はおのずからそれなりの対応をしていただかねばならないという義務があるということですね。

○浅尾慶一郎君 勤労を重んずる態度ということで、別の具体的な質問をさせていただきたいと思いますが、昨今、ニートという、まあ、学問もしていない、訓練も受けていない、そして働いてもいないという層の若い人が増えているというふうに言われておりますが、このニートが増えるということは勤労を重んずる態度というここで定める目標に反すると考えてよろしいんでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) それは、何というんでしょうか、今の教育にやはり欠けている規範意識その他の結果として起こっていることであって、その現象が勤労を重んずることと反するかどうかというのはちょっと比べるあれが違うんじゃないでしょうか。ですから、教育のやり方としては、できるだけやはりニートの人たちをつくらないような教育をしていくということだと思います。

○浅尾慶一郎君 できるだけニートの人をつくらないことが教育の目標だということですから、ニートが増えた、あるいは仮にこの法案が可決した後更に増えたとすると、法案の二条で書かれている目標と合致してないことが社会現象として起きているというふうに理解してよろしいですか。

○国務大臣(伊吹文明君) これは、ニートと言ってもいろいろありますから、先生がいろんな意図をお持ちになりながら質問しておられるというのは私よく理解して答弁しているんですよ。それは、本人の価値観の問題ということを必ずおっしゃると思うんですが、価値観の問題もあります。しかし同時に、ニートという立場の方は、結局だれかがこの人を、生きていることをサポートしているわけでしょう。働きもしない、そして学校にも行かないということは、だれかの汗と勤労の結果でサポートをされているから生命を長らえておられるわけですね。ですから、そういう方が増えていかないように教育をつくっていく義務があるということがむしろこの目的に書かれていることじゃないでしょうか。

○浅尾慶一郎君 そんなに深い意図は実はなくて、私自身は、勤労を重んずる態度ということをここに書かれるんであれば、ニートの問題は、価値観ということもあるかもしれませんが、それはおっしゃるようにあるかもしれませんが、それができるということもあるのかもしれませんし、そこまで、もっと言うと、しかし諸外国を見ても、ニートに対する対策を打つというのはどこの国でもやっていることだと思いますから、なおかつここに書かれているんでしょうから、単純にこの法案が通った後は、仮にそういうことが増えた場合には、その内心まで入ってどうこうということではありませんが、教育の目標としては目標に達してないという理解でよろしいのかどうかということを再度確認させていただきます。

○国務大臣(伊吹文明君) だから、増えていかないように教育をするということが目的でございます。

○浅尾慶一郎君 大分、大臣も何か警戒をされた御答弁をしていますが、教育の目標としては、仮に増えた場合にはそれはこの目標と反するというふうに理解をさせていただきたいと思います。

次に、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度」ということもここで規定がされておりますが、これは具体的にどういう態度でございましょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) これは、自分の命はもちろんですが、相手の命、それから人間だけではなくてこの世の中に生命をうけてきたもの、このすべての生命の尊厳というものをやはり大切にしてもらいたいということでございます。

○浅尾慶一郎君 具体的には、これも大切にした人の事例を教えることによって養っていこうということでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) 大切にした人の事例を教えると同時に、例えば、午前中も御質問がありましたけれども、食育などということも大切な一つの要素ですね。植物にも命があるという判断をするかどうかということは非常に難しいと思いますが、少なくとも動物の命を絶って自分の命を維持しているわけですから、そういうことに対する感謝、尊敬の念、これもやっぱり教えていかないといけないでしょう。

○浅尾慶一郎君 大分持ち時間が限られているんで次の質問に移らさしていただきたいと思いますが、第三条の関係で、生涯学習の理念というのが第三条で規定されておりますが、生涯学習の理念を掲げた趣旨というのはどういうところにございますでしょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) やはり、現在の法律が制定された二十二年ですか、私は小学校一年生でございました。先生はまだ生まれておられなかったから、その時代がどういう時代かは書物でしか御理解がいかないと思いますが、これはもうとても大変な時代で、自分が自己研さんをしながら自分の自己成長を実現していくなどという余裕はとてもなかったです。ですから、このことは残念ながら今の法律には明確には記されていません。

しかし、人生今や八十年、八十年になんなんとする平均寿命の時代ですから、ですから、あらゆる人生のステージにおいて我々人間は自己を成長させ人間的な達成感を持つと、そしてそれは職業教育という面もあるでしょうけれども、例えば実社会をリタイアした後でも自分の生きる目的として物を究めたいということもあるでしょうし、あらゆる場面でそれを可能にするような社会にしたいと、そういうことでございます。

○浅尾慶一郎君 私もこの理念は賛成であります。

それで、私の質問の趣旨をよく分かっていただくために、民主党案の発議者に民主党案の中に含めてあります財政支出の話も含めてちょっと伺わせていただきたいと思いますが、今大臣が言われた生涯教育ですね、生涯学習ということですけれども、もちろん学校現場だけがその現場ではないかもしれませんが、高等教育ということを考えた場合に、大学、大学院その他の高等教育ということを考えた場合に、大学、要するに社会に出てから大学に行く人の割合がアメリカその他諸外国の方が日本より、これは数字を持っておりませんが、高いような気がいたします。GDPに占める公財政教育支出の高等教育だけを取っても、日本は〇・五%、アメリカが一・二%、最も高いフィンランドが一・七%と日本よりかなり高くなっていると。

ですから、今のことを実現するためには、初等中等教育ももちろんでしょうけれども、高等教育にいったん社会人になってからも財政的な支援をしていったらいいんではないかなと思いますが、そのことをプログラム規定で書いております民主党案のまず趣旨を説明していただければと思います。

○鈴木寛君 お答えを申し上げます。  私ども民主党は、まず民主党法案の第二条でもって学習権というものを定めておりまして、何人も生涯にわたって学びを十分に奨励され、支援され、保障されると、こういうことをうたっております。これは、私ども民主党法案の極めて重要な考え方を表した条文だというふうに我々思っております。

そうしたことを正に実現をする上での環境整備を行うということが、これは国のあるいは公の使命でありまして、そのことが、先ほど浅尾委員からもございましたけれども、例えば特に高等教育においては、お示しのあったような、日本が先進各国に比べて明らかに低い水準に高等教育の公財政支出があるという事態にも反映をされているんだろうと思いますし、あるいは国際人権規約の十三条二項の批准が後れているということにもあるんだろうと思いまして、こうした事態を、せっかくあのとき教育基本法の議論をして作り直したんだから、あの二〇〇六年あるいは二〇〇七年からあの議論があって、日本がそうした生涯学習社会そして学習権を本当に真の意味で保障する社会に変わっていったんだなと、ああいい議論をしたなと、こういう議論にしたいということで、私どもはこの第十九条の中で教育の振興に関する計画ということを定めまして、そして、政府は、国会の承認を得て、教育の振興に関する基本的な計画を定めなければならないとともに、これを公表、国民の皆様方に公表すると。そして、その計画がちゃんと進捗しているのか進捗していないのかということをきちっと国民の皆様方が検証し、そしてそのことを基に、もちろん限られた貴重な税金でございます、それを何にどのように、いずれも重要な政策課題でありますが、こういう状況であれば更に高等教育に、あるいは教育につぎ込んでいかなければならないなという御議論を喚起するためにも、GDPに占めるこうした財政支出の比率なども含めて国民の皆様方に明らかにしていくということを考えております。

もう少し実態だけ申し上げますと、やはり私どもが大変危惧をいたしておりますのは、高等教育費における家計の負担割合でございます。日本はOECD加盟三十か国中最高のといいますか最悪の、家計の負担比率が六〇・三%に上っております。これは、アメリカですら三分の一、ドイツ、フランスということになれば、これはもう学費はただでございますが、今の数字は生活費も含めてということでございますが一割程度でありますし、フィンランド、デンマークは三・六%、三・三%、スウェーデンに至っては完全に家計、自己負担というのはゼロ%になっていくと。これが理想でありますけれども、少なくともアメリカ並みの水準にはきちっと毎年予算を確保しながら、こうした方向に向けて実現をしていかなければならないのではないかと。  この教育基本法が施行されている中で、国立大学の授業料の急激な上昇というのが、これは非常に重要な問題だというふうに思っておりますし、そういう中で、私どもも毎年、これは委員御存じのとおり、政府の予算案に対して民主党の予算案というものを対案として毎通常国会、予算委員会に提出を、お示しをさせていただいております。

例えば、平成十八年度民主党予算案、これは私も次の内閣の文部科学大臣としてその立案に参画をいたしましたけれども、政府案よりも文教科学費で申し上げますと八千億円増額という形で私どもは対案を示させていただいて、その中に、奨学金の充実あるいは高等教育費の拡充と、国立大学及び私立大学に対する助成や運営費の増額ということをうたっているところでございます。

○浅尾慶一郎君 伊吹大臣に伺いますけれども、今、民主党案で公財政教育支出の割合を発表し、増やしていくと、アメリカ並みにしていこうということが説明がありましたけれども、この第三条で定める生涯学習の理念を実現するために、大臣としては財政的措置はどのようにとっていこうと考えておられるのか、伺いたいと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) これは、各々の生涯教育に入ってきたいと思われる方々の所得の状況その他勘案して、必要な措置があればそれはとらないといけないと思います。

一つ申し上げておきたいのは、やはり私たちは政権を預かっているわけですから支出のことだけを言うわけにはいきません、これはね、予算というのは歳入と歳出のバランスの上に成り立っているわけですから。

ですから、私も教育予算は今の御説明のように増やしたいと思っているわけですよ、文科大臣として。しかし、その中で民主党さんがGNPの何%ということをおっしゃるんであれば、それをどのような租税構造によって国民負担で賄っていくのか、それから、あるいは租税を増やさないんであればどこを減らしてそれを、六千億ですか、何か今おっしゃった六千億、七千億を賄っていくのか、そのことをまず明らかにすると同時に、国民にマイナスになるところには皆さんこれだけの痛みを強いますよと、租税を取るところにはこれだけのことになりますよということをやっぱりはっきり申し上げて、私たちもそれがいいと思えばそれに乗りたいと思いますから。

○浅尾慶一郎君 じゃ、鈴木委員、お願いします。

○鈴木寛君 平成十八年度の民主党予算案の対案の概略についてだけ、お時間もございますから申し上げます。

民主党案は、歳出総額が七十九・三兆円ということになってございます。政府案は七十九・七兆円でございますから、政府の総額の歳出よりも〇・四兆円、四千億カットしたそうした予算の中で、先ほど申し上げましたように文教科学振興費については八千億プラスをしていくと、こういうトータルの案をお示しを国会で、さきの通常国会の予算の議論の中でお示しをしております。

じゃ、どこを減らすのかと、一々申し上げませんが、私どもはやはり公共事業関係費等々を、正にコンクリートから人づくりへというのが私どもの予算編成方針でございましたから、そうしたところを削って教育等々に振り当てていくと、こういった予算の考え方できちっとトータルの総額をお示しをしているところでございます。

○浅尾慶一郎君 コンクリートから人ということで案を作ったということでありますが、次の条文の方に移っていきたいと思いますが。

先ほど、障害者自立支援法についていろいろ議論をさしていただきました。この教育基本法の第四条の二項、国及び地方公共団体は、障害のある者がその障害の状態に応じ十分な教育を受けられるようにって書いてありますが、これは、その障害のある者が障害に応じて十分な教育というのは、健常者と同じ内容の教育を目指すのか、それとも障害に応じた内容になるのか、これを個々具体的にできればお答え、障害者といってもいろいろな障害者の方いらっしゃるんで、お答えいただきたいと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) 個々具体的に御質問していただきたいと思います。

○浅尾慶一郎君 例えば、身体障害を抱えておられる方の場合はいかがでありましょうか。

○国務大臣(伊吹文明君) 私も、実はボランティアとして京都の身体障害者団体の連合会の会長を務めておりますが、現在の教育の状況は、必ずしも同じように教育が受けられているという状況ではございません。そして、願わくば、理想的な形としては、いわゆるインクルーシブの理論に沿って、御一緒の教育は受けられるというのは、これは理想だと思います。

しかし、いろいろな制約の下で行政というのは動かさざるを得ない。一番の制約はやっぱり財源ですね。財源というのは、打ち出の小づちがあるわけじゃありませんから、必ず相手から出してもらわねばならない。だから、コンクリートから人へというのも結構なんですが、民主党の皆さんも随分公共事業をやれという陳情に我々のところへ来られるんですよね、具体論になると。やっぱり、そういうところを言行一致できちっと努力をしながらお互いにやっていくということだと思います。

○浅尾慶一郎君 公共事業をやってくれという陳情、行かれた人がどなたか私は把握しておりませんが。

今の身体障害というのを抱えておられる方は、最近はパソコン等もかなり発達をしておりまして、障害のある方も、多少それは財源的な支出負担があるかもしれませんが、十分健常者と同じような教育を受けられることも可能なんではないかと、そこは是非お願いをしていきたいなというふうに思います。

それから、これはやや難しい具体的な質問ですが、精神的な障害を抱えていられる方は、もしかすると時間のスパンを、抱えてない方と同じで見ると難しいかもしれないんですが、長く取れば、これは同じような教育を受けることもできるんではないかと思いますが、その点はどう思われますか。

○国務大臣(伊吹文明君) 今のは、知的発達障害の方じゃなくて精神障害の方ですね。

○浅尾慶一郎君 精神障害です、はい。

○国務大臣(伊吹文明君) これは、率直に言って非常に難しいですよね。つまり、精神障害のある方は、御家族を含めて、なかなか精神障害があるということを表に出したくないというお気持ちの方が非常に多いです。私もその関係の仕事を長くやっておりますからよく実態分かっているんですが。別に何の問題もない時期と突然問題が出てくる時期がありますから、ですから、多くの方々との間のバランスを取りながら公益を重視してやっていくということだと思いますが、今の社会の流れ、日本の行政の流れとしては、従来のような閉じ込め型の教育やこのケアは良くないということでやってきているわけですから、私は将来の理想としては先生のお考えに賛成です。

○浅尾慶一郎君 時間ですから、ちょっと最後の質問に簡潔にお答えいただきたいんですが、健常者と同じか、それともそうではないのかということについて、一人当たりの障害者に掛けるお金が健常者と同じでは多分同じ教育は受けられないと。どの程度までが許容範囲として考えておられるかということをちょっと伺いたいと思います。

○国務大臣(伊吹文明君) それはちょっと私も具体的に計算、一人当たり、お金で計算したことはないんですが、できるだけその努力をするということに尽きると思います。

○浅尾慶一郎君 誤解のないように申し上げておきたいと思います。私は、これは技術もかなり発達していますから、できるだけというのはかなりの幅を持って努力をしていただきたいということを申し上げて、時間になりましたので質問を終わりたいと思います。

 

2006年11月02日 (木)

いじめ問題と国会質疑

高校生の履修不足問題、学校でのいじめの問題等、様々な教育に関係することが盛んに報道される昨今です。特に、いじめを苦にして自殺をする子供の報道には心を痛められます。そして、学校や教育委員会の対応の悪さは国会でも論議になっています。

一方、子供の社会は大人社会の縮図ではないかと良く言われますが、先日、身の引き締まる提言を頂きました。国会での質疑そのものが、質疑者の質問の行い方によっては、いじめに写るというものです。確かに揚げ足取りの質問は、答弁者をいじめている様に見えるかもしれません。私個人は国会での質疑は単なる質疑ではなく、[自分であればこうする]という意見も含めて提言すべきものと思って質問に当たって参りましたが、それでもともすると追及形の質問をしていたのではないかと自省しております。

そう意味で一つ世の中に以下の考えを広めることを提言したいと思います。95歳の聖路加病院理事長・日野原重明先生のお言葉ですが、「命とは自由に使える時間である」というものです。自由に使える時間だからこそ、それを途中で使えなくしてしまうことは大変もったいないことになります。また、自分が自由に使える時間だからこそ、他人が自由に使える時間も尊重しなくてはなりません。その考えが行き渡れば、いじめはもとより、人を傷つけたり、自殺に追い込む様な事はなくなるのではないかと思います。

時間の観点から、『いのち』を考えると今更の様に一分、一秒でも大切にする姿勢の必要性を痛感致します。

参議院議員 浅尾慶一郎
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